昼休み、珈琲を飲みあげて、ふと外を見た。
振り続けていた雨が止んで、雲の切れ間から光が覗いている。
嗚呼、まただ。
また思い出してしまう。
彼のこと。

「―…太輔、」

会いたい。
無理だと分かっているのに。
痛む心を抑えて、仕事に戻る。
彼は遠い人。
もう離れてしまった、過去の人。
彼が選んだのは仕事、仲間、ファン、…自分。
彼が捨てたのは、私。
こうなることが運命だというのなら私は貴方に出会いたくなかった。
貴方を愛し、愛されたくなかった。
あんなに愛してくれて微笑んでくれた貴方は、前に進み、大きくなっている。
私はただ、それを眺め涙を流すだけの日々。
許されることならもう一度手を伸ばしたい。
たとえ貴方が手の届かない存在だとしても。

ねぇ、太輔。
まだ貴方を愛してるといったら私を突き放しますか?
貴方から貰った指輪は、捨てることができないまま、輝きを放っています。
貴方の指輪は、どこにありますか?
太輔。
私はまだ前に進めそうにありません。
貴方を思い出すだけで涙が零れるのだから。



仕事を終えた後飲みに誘われ久しぶりにたくさん飲んだ。
今日思い出した太輔のことを忘れたいがために。
帰るときには足取りは不安定で、少し覚束無い。
先程まで飲んでいた人達とは店で別れ一人家路へ向かった。
一人になるとやっぱり思い出してしまう。
太輔のことを忘れたいがために飲んだお酒が逆に涙を誘う。
涙で滲んで前が見えない。
ふらついて人にぶつかってしまった。
涙でぼやけて顔が見えない。
すいません、と謝って前を進む。
嗚呼、いくら拭っても涙が乾かない。

「待って、」

後ろで声が聞こえた。
雑音でかき消されてしまうような、小さい弱々しい声だった。
聞いたことがある声だなんて気のせいだろう。
誰に言ってるのだろう。
周りを見渡す余裕もないけれど。

「待って…!」

少し力強い声になった。
その人が振り向いてくれるのを願ってるような。
戸惑いを隠しきれないような。
でも、と勇気を出して振り絞ったような声。
早く振り返ってあげれば良い。
相手は何をしているのだろう。

…ッ!」

気のせいだ。
私の名前を言っているなんて。
早く帰りたい。
涙が溢れてしょうがない。
涙のせいでメイクが落ちてるかもしれない。
こんなときに知り合いにあったらどうしようもないじゃないか。
足の速度を速める。
もう走ってしまいたい。

、」

声がすぐ後ろで聞こえたと思ったときにはもう遅かった。
私は腕の中にいた。

「離して…ッ」



人違いでしょう?
ねぇ早く離して。私を自由にしてよ。
あんなに、あんなに、会いたいと思っていたのに。
今ここから、逃げてしまいたい。

「太、輔…ッ」

本当は分かってた。
最初の貴方の一言で。
でも嫌だった。
貴方が私を呼び止めてくれるなんて、自惚れてしまう。
こうやって抱きしめてくれることに、自惚れてしまう。
私を手放したのは、貴方なのに。
貴方は私をまた繋ぎ止める気なの?

太輔はゆっくりと私を離して私の涙を拭った。

「会いたかった…」

「冗談、言わないで」

「冗談じゃない」

「半年前、私に別れを告げたあんたが会いたかったなんて思うわけないじゃない!」

「あの時は…ッ!」

「自分が大切で、私を捨てたんでしょう?」

「ッ、!」

「結局、自分が一番大切だった太輔は、コイビトよりもシゴトを選んだじゃない」

「…」

「私は、太輔がいれば何も、いらなかったのに…。」

それほどまでに太輔を愛していたのに。
太輔が隣にいて微笑んでくれるのなら何だって我慢できたのに。
ファンからの嫌がらせも、離れていく友達も。
すべて我慢できた。
太輔が大丈夫だよ、って言ってくれるのならすべて大丈夫に思えた。
太輔がずっと一緒にいようといってくれるのならまた頑張れた。
なのに、

「でも俺は、のことが好きなんだ…」

「私を裏切ったくせに…ッ!都合のいい事言わないで!」

私が太輔を愛してるというのなら太輔は私を突き放すだろう。
そう思ってたのに。
これじゃあ逆じゃない。
本当は突き放すなんてことしたくないのに。
でも、分かってほしいの。

「私はもう、太輔なんて好きじゃないの」

私がここでまた太輔と付き合い始めたら、太輔に迷惑をかけるの。
太輔に迷惑をかけるくらいなら幾らでも突き放して離れてあげる。
好きだから。
愛してるから。
本当はまた一緒にいたいの。
微笑みあって、同じ時を過ごして生きたい。
でもね、貴方は遠い存在だから。
芸能人でしょう?貴方はもう。
コンサートをするほどに、貴方たちの存在は大きくなっているの。
この可能性を駄目にしちゃいけない。
邪魔をしてはいけない。
貴方が笑ってくれるのなら。
私は遠くでそれを見てる。
私がいることで貴方に負担がかかるのなら、私は潔く身を引く。
だから私を忘れて輝いていて。

「嘘だ」

「嘘じゃない。私、もう新しい彼氏…いるの。」

「嘘」

「何で言い切れるのよ…ッ」

「これは何だよ…ッ!!」

太輔が手に取ったのは指輪。
指につける事ができなかった。
だからネックレスとして、身に着けていた大切な、…太輔からのプレゼント。

「俺があげたペアリング…。つけてくれてる」

「これは…ッ」

。本当のこと、言ってよ」

「…」

の本当の気持ち、言って?」

「…大嫌いよ。太輔なんて、嫌いで嫌いでたまら…ッ」

――…反則、だ。
不意打ちのキスだなんて。

「…ッふ、」

は今まで、誰のことを想って泣いてたの?」

「ッ、」

「嫌いだなんて…言わないで」

「何で今更、そんな事言うのよ…ッ!何で今更そんなことするのよ…ッ」

決心が揺らぐ。
一緒に居たいと心が叫んでしまう。
駄目だよ。駄目。
半年前と同じことを繰り返すだけじゃない。

「半年間離れて、諦めようと思ったんだ。
ダンスのレッスンを今までより頑張って。北山とかと遊んで。コンサートやって…。
でも、無理だった。いつものことが頭から離れなくて。辛かった。…後悔、したんだ」

「嫌…そんな事言わないで…ッ」

の笑顔が浮かんで、最後には泣き顔がいつも浮かぶんだ。
その度に半年前の自分の選択を悔やんだ。…俺はもう間違えたくないんだよ」

「私が居たら、太輔に迷惑がかかる」

「ここでまた、後悔したくない」

「邪魔したくないの…私は太輔にとって邪魔な存在なの。太輔も半年前そう思ったから別れを告げた。…そうでしょう?」

「もう、半年前と同じ選択はしないよ…?だから、やり直そう?」

「たいす、け」

「もう手放したくないんだ」

太輔は私のネックレスをはずし、指輪を私の指にゆっくりはめた。
もうすることはないと思ってた指輪。
私の指で一層輝いているように見えた。

「愛してる」

半年振りに言われた言葉がうれしくてまた涙で滲んで目の前が見えなくなった。
半年間、ずっと言われたかった言葉。
半年間、ずっと願ってた。
太輔と一緒に居ることを夢見てた。
我慢しなくていいのかな?
無理しなくていいのかな?
自分の気持ちに素直になっていいのかな?
―――………言っても、いいのかな。

「太輔、     あいしてるよ」

もう、手放さないで。
また、繋ぎ止めていて。
貴方と過ごす選択を選んでごめんね。
やっぱり突き放すことができなかった。
自分の感情に嘘がつけなくてごめんなさい。
弱い人間ね。
…でもね、貴方が傍に居てというのなら、私は傍に居たいんです。
また貴方に迷惑をかけるかもしれないね。
そのときはごめんなさい。
でも、精一杯の愛情を注ぐから。
傍に居て頑張ってと応援するから。
どうか、隣で笑っていて。
同じ時を一緒に過ごそう?
    愛してるから。



(081102)